クリーブランドは何もない分、楽しかった。生徒も多くなく、皆近くにすんでいるので、すぐ仲良くなったしルームメイトがいきなりカナダ人だったので遊んだり飲んだり、練習したり、いい日々だった。いろいろここには到底かけないようなバカもやり、冒険もし、なんだか青春だった。って、そんな歳でもなかったのだが。

スラムと高級住宅街、ウォルマートと世界最先端の医療機関が共存するクリーヴランド。百年ちょい前は全米でも3本の指に入るほどの年だったらしい。そのご、鉄鋼業の衰退とともに街も沈んでいき、2000年初頭には市が財政破綻する。

そのような状況であってもここにあのオーケストラが存在していることは奇跡である。

その後、帰国も考えたが、まだ学びたいという野心があり、とりあえず受けて落ちたら帰ろうと各地の学校を受け、本当に運良くロサンゼルスのコルバーン音楽院に合格。この学校は比較的新しい学校で、西海岸にもカーティス音楽院ような音楽院をという野心をもってつくられた学校。生徒は全員学費はおろか、住宅と食費までカバーされるという信じられない待遇だった。しかもあのウォルトディズニーホールの目の前。学校は全体で100人ちょい、トランペットの学生は全部で4人。学部生は1年目は一人もいなかった。

アメリカは9月に学校が始まる。長い夏休みは大体冬から春にかけて行われるオーディションを受けて方々の音楽祭に参加するというのが向こうの音楽学生の過ごし方。

その夏、初めてアスペン音楽祭に参加した。これはアメリカでももっとも規模の大きい音楽祭でコロラド州アスペンで行われる。規模が大きい分オーケストラも4、5個あるし、年齢もかなり幅広いが、その分面白い。その上、毎日ワールドクラスの演奏会をやっており、とてもじゃないが全て行けるような状況ではない。ロサンゼルスフィルハーモニック管弦楽団副首席奏者、ジェームス・ウィルト氏に師事したのだが、彼がいなければ今の私はないと断言できる。オーケストラプレイング、特にオーディションのむかえ方というものを教えて貰った。

コルバーン音楽院 在学中、2シーズンにわたりアメリカンユースシンフォニーにおいて首席トランペット奏者をつとめた。ツァラトゥストラや、展覧会、英雄の生涯やショスタコなど盛りだくさんだった。一番の思い出はバックトゥザフューチャー、フォレストガンプなどの作曲者アラン・シルベストリ自身指揮の映画音楽コンサート。その時聴いていたハリウッドのコントラクターが演奏後私のところに来てぜひ連絡先を教えてくれといわれたのはうれしかった。しかしその後連絡はなかったが。

在学中の2009年にウエストヴァージニア交響楽団の二番/副首席トランペット奏者として入団。このオケは今も私の宝物。当時はなんとロスからの飛行機代を出してくれていた。正直いろんな意味で2012/13シーズンより正式にバークレー交響楽団の首席奏者に任命された。2014年より東京に拠点を移し、現在 読売日本交響楽団 トランペット奏者。金管五重奏団Lovrass(ラブラス),トランペット四重奏Canzon Parpignol(カンツォン・パルピニョール)、ふぁいぶぴいすメンバー。